journey.1 それぞれのジャグリングの旅路

ジャグリングジャーニーMAGAZINE

いかにジャリングと出会い、付き合ってゆくか

あなたは、これからジャグリングを始める方でしょうか。
それともすでにハマりにハマっている方でしょうか。

どんなジャグラーにも、ジャグリングを始めた最初の一歩があります。友達にボールの投げ方を教わった。ディアボロの動画を見つけ、衝撃を受けた。学校に来たパフォーマーにデビルスティックを教えてもらった……。

ジャグリングとの出会いは、千差万別です。

まずは最初のご挨拶。
「ジャグリングジャーニー」を担当する3人が、ジャグリングの出会いから現在までの「ジャグリングとの歩み」のお話をお届けします。

青木 直哉

jugmapの青木です。普段は翻訳・通訳などをしながら過ごしています。ジャグリングとの出会いは20年ほど前。中学3年生だった僕の前でペンを3本ジャグリングした、Sくんという男がいました。彼はグヘヘヘヘ、と笑いながら、先生が黒板の方を向いている間だけ、ペンを軽やかに投げていたのです。クラスの人たちからは「なんだこいつ」という目で見られていました。僕は「面白いなぁこいつ」と思って見ていました。ものを投げる行為そのものも気になったし、Sくんのユーモアも気に入ったのでした。授業が終わったらすぐに話しかけに行きました。すると彼はボールジャグリングのやり方を教えてくれた。彼こそが僕のジャグリングの師匠です。

Sくんに基本を教えてもらったあとは、『ボールジャグリング入門』という本を買ってきたり、「技神」「ドラゴンの挑戦」といったウェブサイトで情報を見たり、ちょうどサービスが開始した頃のYouTubeで動画を探したりして、見様見真似で練習しました。当時はちょうど個人がブログやウェブサイトを開設することが手軽になり、技の動画や解説、各地のイベントなどの情報が増えていた頃でした。コメント欄や掲示板で、全国にいる他のジャグラーと交流もしたものです。ジャグリングを始めて1年位経ったら、自分でもウェブサイトを開設しました。久々に検索して探してみましたがサーバーのサービス終了により、もう見られなくなっていました。残念。

でも実際に会える仲間といえば基本的にSくんだけ。横浜に住む14歳の僕にとっては、外部のサークルに出かけるなどということは想像だにしないことでした。休み時間に教室で練習するのが関の山。あとは、公園や家で1人で練習していました。他の上手なジャグラーを生で初めて見たのは、ジャグリングを始めて3ヶ月ほど経った頃。ジャグリングショップナランハが開催している「ジャグリングまつり」に行った時でした。人生で初めて実際に見る5ボールや2ディアボロは衝撃でした。

それからというもの、仲間を集めて高校にジャグリング同好会を作ったり、文化祭のステージでもジャグリングを披露したり、大学生になるとディアボロの競技会にも出るようになったり、果ては19歳で海外のフェスティバルにも自主的に行くようになって、大学4年生のときにはジェイ・ギリガンというジャグラーについての卒業論文を書き、その延長でジャグリング雑誌を立ち上げたりもしました(「PONTE」という名前で、雑誌発行は休止したものの活動は継続中です)。

33歳の今でも、ジャグリングに関わることを続けており、板津大吾さんと共に『投げないふたり』というポッドキャストを毎週配信したり、ジャグリングにまつわる本を手製本で作ったり、1年に数回はジャグリングパフォーマンスをしたりしています。

板津大吾

jugmapの板津です。普段はPM Jugglingというジャグリング道具のお店を営んでいます。

僕は1997年にバンダイから発売されたおもちゃ「ハイパーヨーヨー」がきっかけで、ジャグリングを始めました。いや、ヨーヨーはジャグリングじゃないでしょ、と思う方もいるかもしれません(笑)。

当時、技術を習得することを楽しむスキルトイの存在は新鮮でした。多くの子どもたちがヨーヨーに夢中になり、続いて発売された「ハイパーディアブロ」(いまでいうディアボロ)も先取り感覚に優れた少年たちがハマり、さらに、ヨーヨーやディアボロだけでは飽き足らない一部のプレイヤーが「ジャグリング」を始めるという流れがありました。僕はヨーヨーはたいして上手くならなかったのですが、好奇心は強かったため、憧れのプレイヤーたちの動向を高校の情報ルームのパソコンからネットでチェックをしながら、自然とジャグリングの世界に入っていきました。

ちなみにこの時代の憧れのプレイヤーたちというのが、矢部亮さん、目黒陽介さん、結城敬介さんなど、のちのジャグリング界でも活躍される方々です。当時から感度が高く、独自の視点があり、センスのいい方々というのが僕の印象です。当時の憧れがあまりに大きかったので、今となってお話ができるのが夢のようです。

さて、本格的にジャグリングを始めようと思った僕は、まだ移転前の小さな店舗だったジャグリングショップナランハさんへ向かいました。5個、色がバラバラのビーンバッグを購入して、5ボールができるくらいまで使っていました。同じ頃に、日本ジャグリング協会の広報誌『Shall We Juggle?』の創刊号を取り寄せて、そこに載っていた自作ボールのつくり方を見て、自分でボールをつくったりもしました。テニスボールの中にポンプで水を入れる、というものでした。のちにジャグリングショップを始めることになる僕ですが、振り返ると、それが一番最初のジャグリング道具づくりでした。

クラブを始めるときは、東急ハンズで買ってきたプラスチックのおもちゃのクラブの中に、新聞紙をぎゅっと詰めて重みをつけて、それで練習をしていました。道具代を節約したいというのもありましたが、そもそも道具は自分でカスタムするものだという考えが、ハイパーヨーヨーのカスタマイズの経験から自然に身についていたと思います。

その後は、ひたすら技を練習をしたり、大学でサークルをつくったり、大学を卒業してからは大道芸をしたり、ジャグリング創作のクラスに通ったり、海外のイベントに行ったり、お店を開いたり、ジャグリングの雑誌づくりに参加したり、ジャグリングの日記を書いたりと、いろいろな形でジャグリングを楽しみ続けています。続ければ続けるほどジャグリングの世界は広がり、自分にとってジャグリングとは何なのだろう、自分のジャグリングの個性は何だろうと考えてしまいます。でも原点にあるのは結局、ハイパーヨーヨーやスキルトイの体験だったんだなと、最近あらためて振り返っているところです。

SHOGUN

jugmapのSHOGUNです。普段はジャグリングパフォーマーとして各地のイベントに出演しています。

僕が初めてジャグリングに出会ったのは、幼稚園のころでした。テレビ番組『奇芸・珍芸 世界の笑い大博覧会』の録画ビデオで、ピンポン玉を口で操るクラウンや、バウンスボールで電子ピアノを演奏するジャグラーの姿を、何度も繰り返し観たのを覚えています。今になって調べたところ、それはカナダ・モントリオールで開催されていた「Just for Laughs」というフェスティバルで、感慨深いことに、16年後に僕はその地を訪れ、ジャグリングの大会に参加することになりました。

小学校時代は上海で過ごし、日本人学校に通っていました。クラスの友達は行事になるとみんな本気で取り組むタイプで、小学4年の送別会では、趣味で続けていたマジックを披露することになりました。黒い段ボールで作ったシルクハットと蝶ネクタイを身につけ、碁石を使ったマジックを披露すると、友達や保護者の方々から「なんで?」「すごい!」といった本気の反応が返ってきました。あのときの高揚感が、僕にとって「パフォーマーとしての原点」となったように思います。

そして、日本に帰ってきて、中学2年になっていたある日。兄がボールジャグリングとディアボロの技を家で披露してくれました。これがジャグリングとの本格的な出会い。幼いころからパフォーマンスを観る機会はあったものの、自分自身が道具を「触る側」になるのはこれが初めてでした。

兄から、ジャグリング道具を「ナランハ」という専門店で買ったと聞き、調べてみると、なんと自宅から徒歩圏内にあるではありませんか。興奮しながら父と一緒にそのお店を訪れました。少し入り組んだ場所にあるその店は、まるで秘密基地のようでワクワクしたものです。

店内には、色とりどりの道具が所狭しと並んでおり、まさに「ジャグリングの世界」が広がっていました。店員さんが目の前で技を披露してくれ、道具の違いやコツについても丁寧に教えてくれました。兄と同じ道具ではつまらないと思った僕は、シガーボックスに挑戦することにしました。基本技の「中抜き」を成功させたときは嬉しさでいっぱいでしたが、膝への負担が大きく、インドア派だった自分には向いていないなと感じました。

そのとき、店の一角でひっそりと光っていたのが、デビルスティックです。先端にラバーのついた一本のスティックを、2本のハンドスティックで操るその道具は、見た目も動きも独特で、一目で心を奪われました。そのままその日は、赤と黒と白のストライプの模様が入った「デビルスティックトライゴン」というスティックを購入。色合いが、ポケモンのモンスターボールみたいで気に入ったのです。

初めて自分の道具を手にしたその時、小学生の送別会でマジックを披露したあの時間を思い出しました。これから何かが始まる漠然としたワクワク感を強く感じました。「できなかったことができるようになる」過程や、人を驚かせる楽しさは、幼いころに夢中になったマジックと地続きに感じられました。

最初は、ただ自分が楽しむための趣味として始めたジャグリング。まさかそれが将来、仕事として人前で披露するものになるなんて、当時の自分は想像もしていませんでした。純粋に「練習すれば上達する」ことが楽しくて、黙々と自分のために練習していた日々でした。

けれど、やがて文化祭や地域のイベントに出演するようになり、「人前で誰かに演技を観てもらうことで広がる世界」があることに気づいていきました。その後、ジャグラーが集まる練習会にも参加するようになり、仲間がどんどん増えていきました。そうして少しずつ、自分のジャグリングが「人とつながる手段」へと変わっていったように思います。

現在は、パフォーマーとして各地のイベントに出演するほか、ワークショップの講師として教える仕事や、ジャグリングの舞台撮影の仕事など、さまざまな角度からジャグリングに関わる日々を、楽しみながら過ごしています。

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以上の3人が、ラジオ・記事での発信を中心に、ジャグリングのさらなる奥深さを追求していく「ジャグリング・ジャーニー」のコーナーを盛り上げていきます。どうぞよろしくお願いいたします。